こちらのブログの続きです。
夜が明けました。苦しいながらもそこそこ眠れました。
昨夜LINEでヘルプを出した臨床心理士の先生からの返信があり
三男の様子や私の気持ちについての先生からの質問に、私が答える形でやり取りをしました。
「〇〇さん(私)が、苦しいと感じていることを言葉にするとどんな感じですか?」
と聞かれました。自分の気持ちはどんなんだろう…
”三男がとても辛そうにしているのに寮に置いてきたこと。
踏ん張って乗り越えて欲しいという思いと、苦しみを取り除いてやりたい=連れて帰りたいという気持ちの間で引き裂かれる苦しさ”
「〇〇さんとしては、どうしたいですか?」
”三男が苦しんでいるのを見るのは辛いし助けたい、苦しみを取り除いてやりたいけど
いますぐ連れて帰るのは三男のためにならないのかなと思う”
と返しました。
詳しいやり取りは省略しますが、
「お母さんが苦しみを取り除くことはできないのでは。周りができることはこの状況を乗り越えられるよう見守るくらいですかね」
と先生。
あ、やっぱりそうっすか。そうですよね〜
私も、頭ではわかっているんです。わかっちゃいるけど
”連れて帰って苦しいのから解放してあげたくなってしまうし、自分にできると思ってしまうんです”
と私。
「なるほど。本人が苦しくてもこれが学びですから、これを取り上げちゃダメです笑 そこは線引きしてください」「三男さんは大丈夫と信じることです」
はい。ですよねーーー
私が何とかしてあげなくちゃ!ってのが私の思考パターンなんです。
あ、いつものパターンじゃん!これで何度もドツボにハマってきたんじゃないのぉ〜
やっちまったな と内心苦笑い。
そして
”LINEで 死ぬかもしれん とかいうからビビっちゃう”
と伝えたら
「死にたいくらい辛い って変換して聞いてあげて。 ヘルプを出せるのは良いこと」
そうなのか!死にたい じゃなくて 死にたいくらい辛いってことなのか!
なんだかホッとしました。
それに、辛いって言えることが大事ってなるほど、そうだよね。
先生との対話で少しずつ心が軽くなっていきました。
対話の中で一番響いたのは
『お母さんが苦しみを取り除くことはできない』
という言葉でした。
ハッとしました。目の前が開けたような感じがしました。
そうですよね。
苦しくても三男の人生。それは三男が乗り越えるべき壁で、自立するために必要なことなのに。そして乗り越える力がちゃんとあるのに。
私はそれを取り上げようとしていたんですね。
まだまだ話したいこと聞きたいことはあったけれど、ふたりとも次の予定があるので明日あらためてZoomでお話する約束をして相談終了。
緊急のヘルプに対応してくださった先生に感謝です。
さてさて今日は午前中に観光、昼過ぎには帰る予定。
チェックアウトして外に出ると昨日とはうってかわって快晴!青い空に明るい日差しが気持ちいい。
昨日の強風と雨で気付かなかったけれど
ホテルの近くになにかちょっとした観光地っぽいものがあるみたいなので寄ってみた。
何があるのかわからないまま石の階段をのぼるとそこには…
おおー灯台が!
うれしいビックリ。
そして海が!
海なし県民、海を見てはしゃぐ。
広い広い海を眺めていると、波の音だけが聞こえてきます。
ああ〜なんかねぇ〜
昨日から苦しんでたこととか悩んでたこと、そんなに大事件でもないような気がする〜
なんとかなるよね〜なるようになるよね〜
思い悩んでちぢこまった心が
ゆるんでほどけていくのを感じました。
灯台よ、海よ、空よ太陽よ、ありがとう。